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桑園延命地蔵尊は慰霊と交通安全をご祈願する地蔵尊です。
昭和2年に建立され,今年で96歳になりました。
副地蔵は子宝と厄除けに縁起がございます。

由 来Origin

桑園延命地蔵尊の由来をご説明します

ヤチだった桑園界隈

美しく整備された街路と緑地が連なり,近代的な建築物が立ち並ぶ桑園地区。
住みやすいと評判が高まり,人口が3万人を超える大きな街に発展しました。

しかし,かつては川と湿地が入り混じり,荒草や樹木がうっそうと生い茂るヤチ(谷地)であったことなど,だれが想像するでしょう。
桑園延命地蔵尊の由来を語るため,はなしを140年ほど前にさかのぼります。

黒いダイヤモンドと呼ばれた石炭は,当時の生活に欠かせない燃料でした。
明治政府は開拓の先駆けとして,幌内炭鉱の開発,そして小樽港へ石炭を運搬するための鉄道の建設を推し進めました。

明治13(西暦1880)年に,北海道初の鉄道である官営幌内鉄道が,手宮から札幌まで開通しました。
さらに翌々年には札幌と幌内が開通。産炭地の幌内から小樽港まで鉄道が結ばれました。
機関車の義経号と弁慶号が走る姿は,産業の幕開けを物語る象徴でした。
これがのちの函館本線ですが,国民の需要も高まるなか,こうして北海道の鉄道輸送が産声を挙げたのです。

魔の踏切と呼ばれ

鉄道輸送が本格化し,やがて 大正13(1924)年に桑園駅が開業します。
この頃になると,地域が発展するに従い,人の往来がずいぶんと増えました。

現在の北七条西11丁目付近(石山通と函館本線が交わる場所)に踏切があったのですが,この辺りの軌道は大きく湾曲しており,また背丈よりも高いヨシが生い茂っていたため,たいへん見通しが悪い場所でした。
とくに冬は深い雪に埋もれてしまい,汽車が近づく音を吸収してしまうのです。

警報機のような技術がまだなく,人々は汽車の音に聞き耳を立てながら渡るのですが,このような悪条件が重なったことで踏切の事故が絶えませんでした。

いつしかこの踏切は不名誉にも「魔の踏切」と呼ばれるようになります。

またあろうことか,みずから身を投じて命を断つという痛ましい件も続き,地域の住民にとって心配の種が付きまといました。

こうした事情に住民はたいへん心を痛め,事故を減らすために何か良い方策はないかと活動を始めたのです。
すると東京は大森や大久保,また道内では旭川市曙などにおいて,
地蔵を建立し供養をすることで,事故防止に奏功したケースを知るに至りました。

北門倶楽部と桑園倶楽部の発足

大正15(1926)年,地元有志が立ち上がります。

北海道庁北門にある集会所の住民が北門倶楽部を発足させ,本格的に地蔵尊の建立に乗り出しました。

当時の資料では,三千円以上の浄財が集まったと記されています。
千円で土地付きの新築の家が二戸建てられた時代だそうですから,議員や商工関係者,なにより住民らによる総意であったことが伺えます。

一方,北五条郵便局を中心にして建立地で発足していた桑園倶楽部から計画についての賛成を取り付け,両倶楽部が主体となって地蔵建立に着手することになったのです。

さらに方々を調査した結果,各地に建立する地蔵尊でも1.67メートルが最大であることが分かりました。
そこで関係者の協議によって「日本で最大の地蔵を建立しよう」と決まったのです。

制作の発注を地元の石材職人である阿部独海氏に依頼,原石は登別産から最良の硬石を選びました。19坪5合ある土地は地元有志からのご寄付を賜ったものでした。

地蔵が完成すると事故が減った

特段のご配位を賜りながら,期待と祈りを一心に寄せた地蔵がいよいよ完成します。
巨大な地蔵は馬2頭に引かれ,札幌の中心地を約3キロの道のりを行進しながら,厳かに運ばれました。
行列は大勢の市民から喝采を浴び,手を合わせる姿も多く散見しました。

昭和2(1927)88日,住職らによって開眼式そして入魂式が行われ,全長2.6m,重さ3.5tという,全国でもっとも大きな地蔵「桑園延命地蔵尊」が建立したのです。

地蔵尊が立つ台座にはこう刻まれています。

迷信カ信仰カ
此ノ穿鑿ハ別トシテ
不思議ニモ殊ニ
死ヲ遂グル人
ナキニ至ッタ


(現代語訳:迷信か信仰かの詮索は別として,不思議なことに死を遂げる人がいなくなった)

こうして人々の願いに応えるように,建立を機に事故がめっきりと無くなったそうです。
このときすでに364名もの尊い命が失われており,人々の祈願達成は急務でした。
事故が減ったことは,なによりの安堵だったことでしょう。

志が保存会へ継がれる

年月は流れ…札幌オリンピックを控えた昭和46(1971)年。
車の渋滞緩和を目的に,踏切が立体交差(アンダーパス)になりました。
あの忌まわしい踏切が撤去され,悲しい記憶が薄れることになります。

さらに昭和63(1988)11月,鉄道が高架線となり,これにより鉄道事故の一切の懸念が消滅するに至りました。

さて地蔵尊の落成を見届けた両倶楽部は昭和45月に解散し,改めて「桑園延命地蔵尊保存会」を結成しました。地域の方々に支えられながら,保存会は今も継続されています。
当時の志はしっかりと引き継がれ,地蔵盆にあたる毎年724日には慰霊祭及び交通安全祈願祭が行われます。

桑園延命地蔵尊も大役を果たし,その満足した表情は微笑を浮かべ,変ぼうする桑園界隈を静かに眺め見守っているようです。
住民の心配が安んじて久しいですが、地蔵尊の前を行き交う方々が誰ともなく足を止め,手を合わせ,所願成就の象徴として崇められています。

そして未来へ

物流の夜明けが蒸気機関車から始まった鉄道事情も,やがて汽車から電車と移り変わり,そしていよいよ2030(昭和105)年には北海道新幹線の開業が予定されています。

さて保存会が平成3年に発行した「桑園延命地蔵尊由来史」の末巻はこう結びます。

“深い事情で尊い生命を失われた方々の霊に対し心からご冥福を祈り,併せて桑園延命地蔵尊を建立されました諸先輩の労に感謝するとともに慰霊法要を末永く行って頂きたいと切に願い申し上げます。
地域と共に相愛の象徴であり続ける桑園のお地蔵さんは,これからも私たち住民を末永く見守ってくれるに違いありません。”

人々から集う感謝の気持は安寧の声を告げながら,
汽笛のようにいつまでも桑園一帯をこだまするでしょう。

技術が進んだ現代においても,変わらぬ立ち姿で守り続ける桑園延命地蔵尊。

今日も明日も,温かい目で地域を見守ってくれます。

副地蔵について

両脇に建つ副地蔵(小地蔵さん)について。

向かって右が厄除けの地蔵です。
南一条西1丁目で化粧品卸売業を営んでいた大澤市兵衛氏が,社会の貢献を願い建立したものです。

向かって左が子宝の地蔵です。
両替商を営んでいた早川正秀氏が,一人息子を亡くした折に供養のために建立したものです。

現存の副地蔵は,老朽化により近年に建て替えられた二代目のお地蔵になります。

桑園延命地蔵尊

〒060-0006
北海道札幌市中央区北六条
西10丁目11−2
JR桑園駅東口より徒歩10分

駐車場なし
トイレなし

https://soenjizo.kasajizo.com/

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